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容疑者χの献身 [キャラメルボックス]

僕は、心の初期反応に対する、
心の裏付け反応が、遅い人間である。
もちろん、そんな言葉は存在しないが。

何か悪いことを言われたとする。
すると、頭が真っ白になる。
なんだかわけがわからなくなる。

その言葉が自分に届き、
悲しくなったり、腹が立ったりするのは、
ずっと後になってからである。

嬉しいこともそう。
浮かれてしまい、何がどうなってるのかわからなくなる。

昨日、演劇集団キャラメルボックスのお芝居
「容疑者χの献身」を観た。

原作はベストセラー、映画は大ヒット。
でも、僕は、どちらも観たことがない。
予習なしの観劇だった。

観終わった時は、ただただおもしろかった。
謎はおもしろいし、真実は驚きだった。
役者さんもキャラクターも魅力的だった。

でも、その時動いた心が、何かの意味を持ち始めているのだ。

なんだか、心が動いたのはわかる。
でも、それが、自分にとってどういう意味を持っているのか、
今はまだわからない。
温かいとも、冷たいとも、優しいとも、辛いとも、わからない。

僕の心が今まで触れたことのないものに触れたから。

たぶん、これから、たくさんの感想を持つだろう。
でも、それを表現するのは難しいだろう。

なぜなら、自分の奥深くにある、自分でも知らなかったようなものを
さらけ出さないと、伝えられないからだ。

それを、言葉にする自信もないし、
そもそも、自分自身が理解できるかどうかもわからない。

おそらく、観客の感想は、その人の心と結びついたものになる。
だから、おもしろかったけれど、
「おもしろかったよ」とは勧めない。

ただ、「ぜひ、あなたも体験してほしい」…そう言いたいのである。

それから。

「拍手という花束」
今回、初めて、この言葉を意識した。 

キャラメルボックスのお芝居を見た後の拍手。
それはいつも、楽しい気持ちが心から溢れてくるものだった。
そして、「素晴らしい!」という気持ちを熱く伝える手段だった。

で、今回。

このお芝居を演じること。
それは、時には役にむきあい、時には役を生きることだと思う。
それは、誰にとっても、辛く、キツいと思う。

しかし、それでも、劇団のみなさんは、
私たちに、この物語を伝えてくれようとした。

派手なアクションはなくても、
消耗するものは、半端なものではないはずだ。

これまで、このお芝居を作ってきたこと。
そして、これからまだまだ続く公演。
それへの代償。

それを思うと、敬意と感謝を感じずにはいられない。
そして、ねぎらいと。

今回の拍手は、それだと思った。
それには、まさに、「拍手という花束」という言葉がふさわしい。

これは、劇団の数ある挑戦の中でも、
かなりの挑戦だと思った。
その初日に立ち会えたのは、きっとずっと忘れないと思う。

これも、エンターテイメントだ。

心が動く時、それは、「生きている」ことを感じる瞬間。

何度でも観に行きたい。ただ、日は少し空けたい。

神戸公演は、来週の日曜日まで。
その後、東京公演がある。

詳しくは、こちら。http://www.caramelbox.com/


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