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【ネタバレ】「バイ・バイ・ブラックバード」 [キャラメルボックス]

前回の記事で書いた、「バイ・バイ・ブラックバード」ですが。
2度、観劇しました。
思ったことを書いてみようと思います。

「“引き算”による見せ方」

気が付けばそばに寄り添うような音楽。
それが、突然消える場面が多いのです。
消えた瞬間に、ハッと、空気が変わります。
音楽が「鳴って、変わる」のではなく、「消えて、変わる」んですね。

ラスト近く、とある人物にあてられたライトが、ふわっと消えるのが、
印象的でした。何も語らないそのシルエットの、切ないこと…。

舞台装置。
具体的なセットではないけれど、何もないわけではない。
饒舌ではないけれど、想像がどんどん広がるような感じ。

…そんな風に、今回は、
「何かを省略することで、逆に空想が広がる」という体験をたくさんしました。
その究極が、最後まで何も語らない、あの人でしょう…。

「“掛け算”による見せ方」

「このお芝居では映像が使われる」ときいていました。
その使い方に驚きました。

「その記憶に、たどりつけそうでたどりつけないもどかしさ」
…ただ一瞬写るだけの写真に、すごく心動かされたのです。
想像するしかなかった、登場人物のもどかしさが、一気に伝わってきました。

舞台に映像という「異物」が入ると、
違う空気が持ち込まれてさめてしまったり、
舞台ならではのおもしろさが減ってしまうこともあると思うし、
それを少し恐れてもいました。
でも、「映像を使ってみた」ではなくて
「映像とパフォーマンスの掛け算」を目の当たりにしました。

映像でイメージが「限定される」のではなく、イメージが「より広がる」
…そんな経験でした。

「“水族館”演劇」

このお話は、ある特別な人間を追いかけていくような物語ではありません。
あるシチュエーションがあって、その場にいた「普通の人々」がさまざまに描かれます。
いろいろな立場にいるお客さんには、「誰を見るのか」が任されています。

キャラメルボックスのお芝居って、
ジェットコースターのようにめまぐるしくストーリーが展開して、
感情も、泣いたり笑ったりと揺り動かされることが多いように思います。
そうやって翻弄されるのも楽しいのですが、今回は、印象が違いました。

水族館の、大きな大きな水槽の前で、いろんな魚を眺めているような気持ちになったのです。
美しさと、切なさが入り混じった気持ち。
一緒になって泳いだり、眺めたり。1匹を追いかけたり。

それは、サウンドトラックを聴いていても、そう感じます。
「魚が似合う音楽」だと。

「ページを繰る手を止めて」

物語は、「疑問」があって、それが解決して…という風に進んでいきます。
でも、それよりも、それぞれの「気持ち」「想い」を追いかけている2時間でした。

本にたとえるなら。
「先が気になる」とか「謎が気になる」とかでページを繰る手が止まらないのではなく。
1つの描写を読んでは、手を止めて、思いをめぐらせる感じ。

そして、横に置いてあった「謎」が不意に解けた時に、それにハッとし、
それで、気づかなかった「想い」が心に一気に流れこんでくるのです。

「“2度め”の楽しみ」 

2度めの観劇では、観るところが増えます。
ナツカを見守る沢野や、兄夫婦。クラスメートの会話をきく、小松崎さん。
事実を知って観ると、セリフになっていないいろいろな気持ちに気づきます。
そして、気づいてなかった伏線もあったことに驚かされます。
さらに、自分の追いかけたい人物を追いかけたり。

「AIR」

今回のお芝居の音楽は、「AIR」というアーティスト。
車谷浩司さんのソロユニットなんですが。

「AIR」の活動より前に、車谷さんと石田ショーキチさんで活動していた
「Spiral Life」のアルバムは全部聴いているのに、
「AIR」は今まで、完全にノータッチでした。
「Spiral Life」とは全然違う音楽だと、誤解していたのです。
確か、以前に、「AIR」の曲を何かの機会で聴いた時に、
全然違う雰囲気だった記憶があって。

でも、「Spiral Life」の空気は、「AIR」にも確かに流れてたんですね。
何よりも、その歌声。そして、切なくてシンプルで美しい音。想像の広がる歌詞。
このお芝居に採用された曲たちが、そういう傾向の曲だったのかもしれませんが
(「AIR」の音楽性は幅広いときいたので…)、
少なくとも、このお芝居のサウンドトラックは、音楽のCDとして、何度も聴いています。

お芝居では、曲が大音量で鳴ることで一気に場面が変わるような使われ方をしていなかったので、
サントラを聴くとお芝居が浮かぶ…ということは、今回はあまりありません。
それよりも、音楽そのものに、聞き入ってしまいます。

「僕はどこにやられたのか」

観劇中、涙を流すお客さんがたくさんいらっしゃいました。
小松崎さんの独白。安西くんの家族の和解と真砂子さんの涙。
真鍋家の人々の思いと充の再生。

でも、僕がやられた箇所は、最後のシーン。
「今からはじめればいい」…この言葉と、気持ち。
心のど真ん中にきました。
そして、手をつなぎたくなりました。

そして、2度めの観劇で、不意に心動かされたのは、ダンスシーン。
「ただただ動きを追いかけていた1回め」と違い、
ナツカとある人が、同じ動きをしていて、そこに照明が当たって。
…グッときました。
他のパフォーマンスシーンも、動き、音楽、見た目の美しさ、そして
1度目では気づかなかった感情が合わさって、心動かされました。

「“もしこうなったら”」

今回のお芝居は、「記憶を失い、16歳の心を持った人たち」というキーワードは、
事前に明かされていました。で、「どんな気持ちになるだろう」などと考えたりしていました。
しかし、お芝居を観て、「ああ、こういうこともあるのか」「こういう気持ちもあるのか」と、
驚きの連続でした。
「こういうシチュエーションでは、人はどうなるのか」というのが、
いろんな風に語られて、まずそこで、物語にひきこまれました。

そして、観終わったあとも、いろいろなことが余韻として残ります。
いろんな登場人物の想いを考えてみたり。
「自分だったらどうなるだろう」「あの人がこうなったら、自分はどう思うだろう」
そして、「自分のなくしたくない記憶って何だろう」…などなど。

大切なものがある人は、
その大切さを改めてかみしめることになるのではないでしょうか。

「でも、“人が人を想う気持ち”」

いろいろと、キャラメルボックスの新しい一面を見られた今回のお芝居。
でも、やっぱり、人を想う気持ちは、描かれています。
そこが、好きです。


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